面接の評価シートに、「実績:申し分なし」と書いた直後に、「合否:見送り」と書いたことがある。矛盾しているようで、矛盾していない。自分が見てきた範囲では、この組み合わせは決して珍しくなかった。
評価シートを書く側に立って初めて分かったことがある。面接官が見ているのは、実績の大きさではない。その実績に、どうやってたどり着いたかである。
大型プロジェクトを成功させた、事業を立て直した。優秀な候補者ほど、こうした実績を淀みなく話す。話し方も整っていて、聞いていて気持ちがいい。だが結果を聞き終えたあと、こちらが本当に知りたいのは成果の中身ではない。「その場面で、あなた自身は何を選び、何を諦めたのですか」という一段深い質問である。
ここで、それまで淀みなかった話し方が、急に粗くなる人がいた。一定数、確実にいた。言葉に詰まるというより、主語が抜けていくような感覚に近い。「チームで議論して」「みんなで進めて」という説明に変わっていく。悪いことではない。ただ、こちらが聞きたかった一段深い部分には、届かない。
止まる理由は、能力ではない。実績が大きいほど、その裏には組織の後押しや上司の判断、チームの分業がある。実績は本人の手柄として語られるが、分解していくと「自分一人で決めた部分」は、思っているより小さいことが多い。評価シートには、結果だけでなく、どこで論点を立て、何を根拠に判断したかを書く欄がある。ここが薄い候補者は、実績欄がどれだけ立派でも、シート全体としては弱く見える。
面接官の側で起きているのは、減点ではなく疑いである。「この実績の主語は、本当にこの人なのだろうか」という疑いは、経歴書の見栄えが良いほど強くなる。地味な経歴の候補者には、そもそもこの疑いは生まれにくい。輝かしい経歴が、審査のハードルを自分で押し上げてしまうという逆説がここにある。
とっておきの看板実績が評価の場で自動的に値引きされる、という構造がある。だが見えてくるのは、値引きそのものよりも、その先にある違いのほうである。値引きされたあとに何も残らない人と、値引きされてもなお語れる断片が残る人がいる。後者は、実績の大きさではなく、実績の中のたった一つの判断、たった一つの迷いを、自分の言葉で持っている。「あの時、あえてこちらを選ばなかった」という一手が語れる人は、実績が値引きされても、その一手だけは値引きされずに残る。
評価されているのは結果の大きさではなく、その結果に至るまでの意思決定を、自分の言葉で再現できるかどうかである。
この構造を知らないまま面接に臨むと、優秀な人ほど厄介な準備をしてしまう。実績をより大きく、より魅力的に語る方向に力を注いでしまうからである。だが面接官が見ているのは、実績の証明ではない。その内側にある、小さな判断の痕跡のほうである。
自分が候補者だった頃、この構造を知らずに実績の説明ばかりを磨いていた時期があった。今だから分かるのは、あの磨き込みは、面接官が見ている場所とはずれていたということである。
まとめ
優秀な人が面接で落ちるのは、能力が足りないからではないと思う。実績の大きさに気を取られ、その実績の中で自分が選んだ一手を、言葉にする準備を怠っていたからではないか。看板が強いほど、面接官の疑いも強くなる。だからこそ、実績の中の「自分だけが選んだこと」は、あらかじめ言葉にしておくべきだ。それだけが、値引きされずに残る。

